蹴刊 そば通 ~どっかの非公式ブログ~

非公式にスポーツボランティアとかの楽しさを伝えられたらいいなあ

長い長い8月

EQUIPO SOWVAのご隠居さんです。

 

8月は毎年やってくるのですけれども、我々山雅に係わる者にとっては忘れられない8月があります。

あの年の8月はほんとうに長く感じて、終わらない8月のような気がしました。

 

www.matsuaz.com

 

いつでも彼は一番注目されていましたし、彼がいるからこそマスコミの方々も多く取材に訪れていました。

 

あのころはあまり調子が上がらず、彼も悔しそうにしていることが多かったものです。

試合後にインタビューを受けているシーンをなんどか見かけたのですけれども

「全部俺の責任です」

というようなことを仰って悔しそうにしていることが多かったような気がします。

そして我々ボランティアに

「すみません。勝てませんでした。」

と頭を下げて通り過ぎることもありました。

 

ある日彼を密着取材するところを見ました。

あれは殺気というものでしょうね。

凄まじい表情で歩いていたのが印象的でした。

それを密着する方も凄いなと思ったものです。あんなもん怖くて近づけません。

 

別格という言葉を実感させてくれたのも彼でした。

休憩時間にスタンド内に入ると、ピッチの彼は一目で見つけられました。

あれはなんなんでしょう?

彼より背の高い人はいましたし、金髪だったわけでもありません。

でも、なぜか見分けられたのです。

後になって聞いたのですけれども、山雅のスタッフの方も

「あれが別格ってやつでしょうね」

とおっしゃっていたので、何か、ほんとうに格というものが別な次元だったのでしょう。

 

山雅に係わるようになって8年目になりますが、その間に1度だけ練習を見に行った事があります。

それが2011年でした。

テレビで入団会見を見ました。

新聞で記事も見ました。

でもしょせんテレビの中の出来事で実感がわきません。ドラマを見ているような感じでしょうか?

なので、彼の姿を確認するために練習見学に出かけました。

彼はそこにいました。

馴染みのある山雅の練習着を着て。

 

「テツ!それでいいぞ!」

「ガチャ、もっと中!」

 

最終ラインからなんとフォワードにまで指示を飛ばしていました。

周りの選手はミスったと感じた時、うまくいかなかったと感じた時には彼に意見を訊き、彼に褒められるとそれがそのままその選手の自信になっていたように見えたものです。

 

そんな中、スパッと彼のチームが最終ラインを抜かれ失点したシーンがありました。

この時も彼は全員に指示を出していました。

ほんとうに、ピッチ内の1人1人が見えているかのようでした。

抜かれたことに関してセンターバックの選手が

「マツさん今のところはどうしたらよかったですか?」

と訊くと

 

「すまん、今の俺」

 

私、たぶんこれで彼のファンになってしまいました。

 

 

「今いる、このチームのみんなでJリーグに行く!誰一人欠けることなく全員でいく!」

そう彼が言っていたチームは、ほぼ全員を残したままJ2へと昇格しました。

 

「マツさん、Jリーグ目指すの?」

「ばーか、J1だよ」

そう彼が言っていたJ1も経験しました。

 

でも彼がいませんでした。

 

今でも彼がいたらどうなっていただろう?

彼がいる山雅をもっともっと観たかったと心から思います。

 

 

松田直樹 マツモトの松田直樹

俺たちと この街と どこまでも