シーズンオフの始まり
2019年12月8日前日にJ1リーグ戦が終了した翌朝メールが配信された。
「代表退任のお知らせ」
タイトルにはそうあった。来る時が来たかという感じ。誰もがいつかは退く。とはいえ、2013年から7年に渡って代表を務めてきてくれたので、彼以外のイメージはちょっと湧きにくいかもしれない。ずっと続いてきたものがなくなる、いなくなるというのは寂しいものです。指名制なのか、次の代表も決まっていて記述がありました。
禅譲ってことなんでしょう。
とりあえずお疲れさまでした。
そしてその日のお昼。松本では号外も出たそうな。
「反村監督辞任」
マジっすか。
J1からの降格。残念ではあるけれども「ありえない!」「監督なにしてくれてんねん!!」というほど予想外の出来事でも成績でもないので、責任を取らねばならないこともないと思う。
ただ、代表より長い8年チームに尽くしてくれた。長期はやらないとおっしゃっていた方が、自説を曲げての8年間。ご家族にも負担をかけていたことでしょう。過去にも辞めようというときはあったでしょう。それでも残ってくれての8年。
潮時、そんな言葉がよぎる。
変な言い方ですけれども、ここを逃したら辞め時がなくなるという考え方もある。
まあ、仕方ないかな。なんかで残ってくれると頼りになるけれど、それではいけないような気もしますし、もっと恵まれた環境での監督も見てみたい。
と気を取り直して仕事に励もうか、とした矢先に
飯畑真起選手契約満了のお知らせ
ええええ⁉
誠に勝手ながら飯畑さんは引退までいてくれるものだと思っていた。
2010年途中加入だと思うので、ちょっぴり私の方が先輩。ヴェルディから来てくれた鉄壁のディフェンダー。この人いらんてJ2ってどんなすげえとこなんだよって思った。2011年の始まりは須当、飯畑、松川、渡のディフェンスラインにわくわくした。ディフェンスにわくわくしたのは初めてのことだった。JFLからJ1まだどのカテゴリーでも頼りになる柱だった。そう、J2どころかJ1でも通用する、試合ごとのベストイレブンにも選ばれるような選手になったのだ。どんな努力をしたのか、どんな意識で練習や試合に臨んでいたのか、オフはどう過ごしていたのか、どうやったらあんな美人の奥さんをゲットできるのか、飯畑さんから学べることは数多くあるだろう。そう考えてもクラブに残ってほしい人財だったんじゃないかと思う。ぜひさらに成長して帰ってきてほしい。
代表はほんとうの黎明期、サポーター3人とかってあたりから関わっていた方なのですが、ボランティア代表としては7年、監督は8年、飯畑さんは9年半、もういるのが当たり前の人たちがいなくなることが発表された特別な日となりました。
どの発表も突然のことでちょっとしたショック状態に陥りました。
これからさらにお別れの発表は続くでしょう。
でもそれは同時に2020年のスタートの合図でもあります。
2020年はどんな年にしますか?
どんなゴールを目指して、どんな目標を立てますか?
私はとりあえず、ボランティアっておもろそうやんという人が増えるというゴールを目指して、週一更新という目標を立